美空ひばり


「BSまるごと大全集・世紀を超えた美空ひばり・たっぷり見せます3時間」 をTVで見た。
美空ひばりの特集番組は時々みるが、今日のは見ごたえが有った。大概は東京ドームのライブの映像に頼って編集されたものが多い中、今日のは各時代の映像を丹念にセレクトされ、名演ぞろい。
さて、いつものように感想だが、僕自身がミュージシャンなのでその視点から、、、、、、、

まず、昔からスゴイテクニックの持ち主だと言う認識は有った。しかし、今日はさらに再確認。凄いテクニックどころか、やっぱり凄いミュージャンだった。例えば、悲しい酒。何時のどのバージョンかは分からないが、途中で涙を流し始める。これはよくある事。しかし、違った。大粒の涙を流しているのだが歌が全く崩れない。確かに感情は高揚している。だから冷静さを失って当然の状況なのだが、まるでもう一人の冷めた自分が歌って居るかのごとく隅々までコントロールされた歌を歌いきってしまった。いまにも嗚咽が漏れそうなのだが、それすらもコントロールされている。でも、高揚している。これはミュージシャンとして完全理想状態ではなかろうか。この二重状態を作り出せる事こそパフォーマーとしてのミュージシャンが最後の到達点として目指しているところではなかろうか。
安物の俳優が見せる「演技上の涙」ではないのである。彼女は完全に泣いているのである。しかも、歌はコントロールされたまま。

歌手が泣いている伴奏は何度もした。本当に泣いている歌。演技で泣いている歌。本当に泣いている歌は確実に崩れる。嗚咽が漏れ始め、音程が崩れ、歌詞がとび、その場に崩れる。そして演技で泣いている歌は伴奏をしていればはっきり分かる。分かった時点でこちらはシラケル。

彼女は泣いていた。完全にコントロールされた歌を歌ったまま本気で泣いていた。まるで自分は泣いているのだが神が口を動かし音楽を奏でているかのごとくコントロールされていた。引き込まれてしまった。こんな体験はした事が無い。こんな風に歌った人を初めて見た。楽曲なんて関係無かった。マイナーの曲である。悲しいメロディーである。悲しい恋の歌である。しかし、関係無かった。もう音楽は音楽そのもの、純粋な音楽だった。


しかし、考えてみるとこれほどの音楽が起こっているのに(起こっているという表現は、自然現象のごとくだったため。)伴奏のレベルが低過ぎはしないか?ダイナミックレンジは記譜上の記号の域を越えていないし、音符を追っかけただけの不完全なアーティキュレイションのメロディー。ミストーン、リズムのブレ。彼らには、何が起こっているか理解できていたのだろうか。ギャランティーを得るための仕事で有ったのだろうか。
彼女の伴奏したミュージシャンを知っている。彼曰く「怖かった」。何たる事。しかも、「怖い」の種類は、いま起こっている信じられない事に対してではなく、彼女がバンドにうるさいから「怖かった」もしくは高級と言われている仕事であるが為に「怖かった」。
これは完全にプロデュースミスである。なぜ最高の歌い手に最高の伴奏者ではないのか。彼女を取り巻く状況は芸能界であった。音楽界ではないのである。構成、マネージメント、演出、ブッキング。全てにおいて芸能界なのである。彼女は孤独であった。廻りは女王扱いし、スターやアイドルとしてしか扱われない。自由に音楽を出来ない環境。過剰な演出、同じ次元で音楽をしてくれないバンド。彼女は自分の音楽性を持て余し。ストレスが募り、廻りに不平をもらし、過剰な緊張を生む。彼女自身も分かっていなかったのではないか。純粋な音楽を欲しているだけなのに廻りのベクトルは全く違う方向を向いたまま。彼女は引き裂かれる。自分でもわけの分からないまま、真っ二つである。
その中でただ一人素晴らしいギタリストがいた。恐らく名の有る方なのであろう。一曲、彼女と二人だけの曲が有った。彼は、彼女と同じ次元で音楽しており、彼女の発する音楽に対等に答えていた。自由な伴奏。いや、もう伴奏と言える次元ではなく、デュエットである。どうして全員かれのレベルではないのか。日本にも有能なミュージシャンは沢山いる。彼女と対等に渡り合えるミュージシャンは確実に存在するのである。ただし、彼らは芸能界ではなく音楽界にいるのである。やはりプロデュース・ミスとしか言いようが無い、、、、、、、、、、、、


(関係者のみなさん、勝手な発言お許し下さい。しかし、僕の意見は間違ってはいないと思います。芸能界と音楽界が未分化な日本では、この様な不幸な現象が多々見られます。はやくそれに気付いてください。)