JAZZを教える
JAZZを教える事は出来ない。
時々、若いベーシストにジャズを教えてくれと言われる。その時、僕は、やめなさいと言う。何故か。彼は、教えてもらってジャズが出来るように成ると思っているからだ。
まず、そう言われた時にこう聞き返す。
「ジャズを聞いてる?」
彼の答えは
「聞いてないです。」
僕の答え
「グラマーだけで英語が喋れるようになると思ってるんだね?」
彼
「、、、、、、、、、、、、、」
ミュージシャンの中では未だにジャズは高度なもので勉強してマスターしなければならない。と言う思い込みがあるようだ。特に、テクニック的に高度な次元まで到達しているミュージシャンに限って、そう思いこんでいる節が有る。これは大きな間違いで、ジャズだろうとロックだろうと民族音楽だろうと同じ次元のものである。そこにあるのは誰かが言ったように良い音楽とそうでない音楽だけだ。いや、むしろジャズの場合、マスターしなければならない要素が異様に多い分良い音楽になっていないケースが多々見うけられる。手は動くが表現力に乏しいギタリスト。色んな音を使い分けられるがリズムの悪い管楽器奏者。ジャズは演奏できるがリズムに関する造詣の浅いドラマー。空間を理解していないピアニスト。ジャズが出来ればどんな音楽でも演奏できると思いこんでいるベーシスト。こんな世界である。おまけに、エモーショナルである事は根性を出す事と勘違いしているプレイヤー。
ジャズを音楽的に演奏出来るように成るには相当の時間がかかる。そして、それが達成されたときに、初期の「音楽を新鮮と感じていた最も大切な感覚」を持ちつづけていられるプレイヤーは極希である。とくに、ジャズを、勉強してマスターする、と思いこんでいたプレイヤーに限ってその感覚は擦り切れている。
とにかく、聞く。いや、好きならもうとっくに聞いているはず。夢中になっているはず。夢中に成っていない人にはジャズは演奏出来ない。諦めなさい。いや、諦めなさいと言って欲しかったんでしょ?違いますか?君には無理です。クラシックのピアニストにブルースが無理なように。向いていない。もっと、本当に夢中に成っている音楽を推し進めなさい。その未来の方が遥かに素敵だ。ジャズを教える教室の文句にだまされてはいけない。ジャズ・マスコミに騙されてはイケナイ。
さて、ここまで言って、それでもやりたい人は出来るでしょう。もう夢中なんです。夢の中に住んでいさえすれば全ての事がかなう。現実となる。君がティーンエイジゃーの時にロックに夢中になり、誰に教わるともなく自然に楽器を手にしロックに合わせて夢中でかき鳴らしているうちにマスター出来たのと同じ方法でジャズをマスター出来ます。必要な知りたいと思うことは一杯出てくるから後から勉強すればいい。
さて、クラッシックを目指していた君。君の身につけたテクニックは君を助ける。だが、しかし、音楽的にはロックな彼らと同じ事。むしろ、クラシックを身につけた方法論は君の足を引っ張る。ジャズをプレイすることはベートーベンやモーツアルトに成ることと同じ事なのです。オーケストラの楽団員になる事とは次元が違うのです。自分の頭で感じ、自分の身体で創造するのです。じゃ無いと、ジャズミュージシャンから「似非ジャズ」と後ろ指を刺されたまま一生を過ごさなければ成らなくなります。
つまりジャズは教える事が出来ないのです。ジャズを習いに行っても、心有る先生はジャズを教えはしません。音楽を演奏する基本的な事を教えるだけです。
そうそう、ある種のオルガンの教室で教材としてジャズを扱っているところがありますが、彼、彼女達の演奏しているのがジャズにはほど遠いものであるのを見ても結論は明らかです。
JAZZを教える事は出来ない。
時々、若いベーシストにジャズを教えてくれと言われる。その時、僕は、やめなさいと言う。何故か。彼は、教えてもらってジャズが出来るように成ると思っているからだ。
まず、そう言われた時にこう聞き返す。
「ジャズを聞いてる?」
彼の答えは
「聞いてないです。」
僕の答え
「グラマーだけで英語が喋れるようになると思ってるんだね?」
彼
「、、、、、、、、、、、、、」
ミュージシャンの中では未だにジャズは高度なもので勉強してマスターしなければならない。と言う思い込みがあるようだ。特に、テクニック的に高度な次元まで到達しているミュージシャンに限って、そう思いこんでいる節が有る。これは大きな間違いで、ジャズだろうとロックだろうと民族音楽だろうと同じ次元のものである。そこにあるのは誰かが言ったように良い音楽とそうでない音楽だけだ。いや、むしろジャズの場合、マスターしなければならない要素が異様に多い分良い音楽になっていないケースが多々見うけられる。手は動くが表現力に乏しいギタリスト。色んな音を使い分けられるがリズムの悪い管楽器奏者。ジャズは演奏できるがリズムに関する造詣の浅いドラマー。空間を理解していないピアニスト。ジャズが出来ればどんな音楽でも演奏できると思いこんでいるベーシスト。こんな世界である。おまけに、エモーショナルである事は根性を出す事と勘違いしているプレイヤー。
ジャズを音楽的に演奏出来るように成るには相当の時間がかかる。そして、それが達成されたときに、初期の「音楽を新鮮と感じていた最も大切な感覚」を持ちつづけていられるプレイヤーは極希である。とくに、ジャズを、勉強してマスターする、と思いこんでいたプレイヤーに限ってその感覚は擦り切れている。
とにかく、聞く。いや、好きならもうとっくに聞いているはず。夢中になっているはず。夢中に成っていない人にはジャズは演奏出来ない。諦めなさい。いや、諦めなさいと言って欲しかったんでしょ?違いますか?君には無理です。クラシックのピアニストにブルースが無理なように。向いていない。もっと、本当に夢中に成っている音楽を推し進めなさい。その未来の方が遥かに素敵だ。ジャズを教える教室の文句にだまされてはいけない。ジャズ・マスコミに騙されてはイケナイ。
さて、ここまで言って、それでもやりたい人は出来るでしょう。もう夢中なんです。夢の中に住んでいさえすれば全ての事がかなう。現実となる。君がティーンエイジゃーの時にロックに夢中になり、誰に教わるともなく自然に楽器を手にしロックに合わせて夢中でかき鳴らしているうちにマスター出来たのと同じ方法でジャズをマスター出来ます。必要な知りたいと思うことは一杯出てくるから後から勉強すればいい。
さて、クラッシックを目指していた君。君の身につけたテクニックは君を助ける。だが、しかし、音楽的にはロックな彼らと同じ事。むしろ、クラシックを身につけた方法論は君の足を引っ張る。ジャズをプレイすることはベートーベンやモーツアルトに成ることと同じ事なのです。オーケストラの楽団員になる事とは次元が違うのです。自分の頭で感じ、自分の身体で創造するのです。じゃ無いと、ジャズミュージシャンから「似非ジャズ」と後ろ指を刺されたまま一生を過ごさなければ成らなくなります。
つまりジャズは教える事が出来ないのです。ジャズを習いに行っても、心有る先生はジャズを教えはしません。音楽を演奏する基本的な事を教えるだけです。
そうそう、ある種のオルガンの教室で教材としてジャズを扱っているところがありますが、彼、彼女達の演奏しているのがジャズにはほど遠いものであるのを見ても結論は明らかです。
2003.11.30 (C)Xou