エジソンの実験室



エジソンの話は子供の頃に偉人伝として読んだ。と、言うか読まされたかな?

そこに書いてあった教訓とは

「天才とは、1%のひらめきと、99%の努力から成る。」

で、ある。で、その中の有名な逸話は、

「列車内で働き始めたが、寸暇を惜しんで列車内に作った実験室で実験を繰り返した。ことほどかように彼は努力の人であった。」

これはどうだろう。この逸話は嘘っぱちじゃなかろうか。
冷静に考えてこれは職務怠慢である。つまり仕事をサボって大好きな実験に夢中になっていたのである。あまりにも夢中になりすぎて、とうとう火まで出してしまう。


日本語の「努力」と言う言葉は「苦しさに耐えてコツコツとやり遂げる」ってニュアンスじゃないかな。
僕は言いたいそんなの嘘っぱちだ。苦しさに耐えてコツコツとやっても大した事は出来ない。

ここでご立腹の方も多数おられる事だろう。そんな方は読んで頂かなくて結構。又、心に余裕があるときにでも読んでください、さようなら(笑)。

なんてバカな事を言ってないで自分のことを話そう。僕は人生のどこかでかなり練習してベースをマスターした。だから人並みはずれて早く弾けるし指だってかなり自由だ。で、それはどこで練習したか、それは高校生の頃である。一日5時間は練習していた。へたしたら8時間弾いていた時期もある。しかも退屈なスケール練習である。来る日も来る日も「ドレミドレミ」である。後に音楽を職業にしてからは回りの人が「高校生の頃に努力してたものねー」なんて言う。誰が苦しさを我慢して一日8時間の「ドレミドレミ」に耐える事が出来るのか。退屈なことを耐えるほど苦しいことは無い。おそらく普通なら気がふれるだろう。ところが僕はそれを成し遂げた。実は僕は楽しかったのである。自慰を覚えたサルのごとく、夢中になってベースを弾いていた。人から見たら退屈に思えることを僕は夢中になって軽々と成し遂げてしまったのである。苦しかった思い出なんてまったく無い。ただ単に面白くてしょうがなかった。夢中なパワーは常人では成し得ない事を軽々とやってしまえる。


さて、これを見ていた周りの人間が「彼は努力した」と評価するのである。そして本人もまんざらじゃなく、「周りが言うならそう言う事にしておこうか」ってんで次の日から努力の人誕生なのである。で、またまた、その話を聞いた大人が自分の子供達に「努力しないと彼みたいに成れないぞ」なんて言い出す始末。


「天才とは、1%のひらめきと、99%の夢中から成る。」

と言い直そう・・・・・と、言い直していたのは30代の頃の僕。いま40代の後半の僕は


「天才とは、1%のひらめきと、1%の努力と98%の夢中から成る。」

と言い直す。確かに苦しさに耐えて乗り越えなければ成らない事も存在する。
しかし、出来うる限りその苦しさを楽しさに変換して夢中で乗り切りたい。そして大概の場合それは可能だ。
むしろ苦しさを楽しさに変換できる想像力こそ人間にとって必要なことなのだ。そうすることによって色々なことが実現可能なのだ。
しかし、それでも最後の1%の努力は必ず必要なのだ。しかし98%の夢中を忘れていると99%の努力と言う気も狂わんばかりの苦しみに耐えなければならない。そして人間にはそんな事は不可能だ。
2006.11.26 (C) Xou